2025年7月28日 (月) 0:09
トンビの子は鷹並みに強い
最近の若い人は、アレルギーが多いらしい。 花粉症を自覚している10代は、4人に3人。 最も理解できないのが、ほこりアレルギーだ。 ホコリアレルギーの人が、快適に暮らすためには、塵一つない綺麗な部屋でなければならない。 …塵芥がない家なんて、どこぞのお嬢様(おぼっちゃま)なのか。 今の時代は、空気清浄機の普及や、医療技術の進歩によって、 遺伝的に弱い個体も生き延びられるようになっている。 医療が発達していなかった時代は、強い個体しか生き残れなかったが、 それは、自然淘汰の役割も果たしていた。 遺伝的に弱い個体は、 一、異性に選ばれなくて滅亡する。 一、胎児期や生育過程で死亡するかのどちらかだった。 しかし、医療が発展すると、それまで自然淘汰されていたような個体も、生き残るようになる。 そのような個体が、虚弱体質と呼ばれる人たちなのだろう。 私は、汚染された環境で育った。 幼稚園の頃から、生き物を触るのが好きで、 空気清浄機とかいう、シャレオツな家具はなかった。 子どもの頃は、手洗いもテキトーで、 かなり汚い子だったと思う笑 大人になった今でも、空気清浄機は持っていないが、風邪を引くことはほとんどない。 私が風邪をひく時は、体が弱った時ではなく、 間違った選択をしている時だ。 人の道を外そうとしている時や、 自分が納得していない生き方をしている時は、 必ずといっていいほど、体調を崩す。 ゆえに、風邪を引いた時は、風邪薬を飲むのではなく、 生き方を顧みることにしている。 ただし、食中毒の頻度は高い。 貧乏性の私は、賞味期限を気にせず、物を食べるからだ。 10歳までは、晩御飯も食べられないほど貧しかった。 ゆえに、六甲山に登って、山菜を取って食っていたのだが、 最初の頃は、山菜と雑草の違いが分からなくて、大変な目に遭っていた。 しかし、私の実家は、健康保険に加入していないので、病院に行けば全額自己負担だ。 発熱しても、下痢をしても、病院には行けないから、自力で治すしかない。 余談だが、そんな状況でも、うちのオカンは毎日、タバコを吸っていたから、 タバコを吸うお金があれば、晩御飯を買ったり、健康保険に入ればいいのに…と子どもながら考えていた。 親に向かっていう言葉ではないが、うちの親は、頭が悪い。 賢ければ、健康保険料や、食費を犠牲にしてまで、タバコは吸わないだろう。 副流煙のシャワーを浴び、晩御飯の代わりに野草を食べる生活を送っていながら、 病院にかかった記憶は、ほとんどない。 食中毒になったとしても、1時間程度、トイレに籠城すれば完治する。 私の白血球にかかれば、O157でさえも、怖くない。 劣悪な環境でも、体力バカに育った私は、 遺伝的に、かなり強い個体であると言えるだろう。 いや、劣悪な環境が私の体を強くしたのかもしれない。 小学校の頃は、いつも空腹だったが、 不思議と、しんどいとは思わなくて、 生き残ることだけを考えていた。 人間は、目的があれば、生きる力がみなぎってくるものだ。 当時の私にとって、その目的は、生きることそのものだった。 恵まれた環境に身を置く子どもからすれは、 生きるというタスクは、難しいことじゃない。 親に与えられた食事を摂取し、眠たい時に寝ればいいだけ。 しかし、私が生きるには、さまざまな課題があった。 電気やガスが止められた時の乗り切り方、 安全で栄養価の高い食料を手に入れるルートを確保すること、 少ない栄養でも、生き残れるよう、体力を温存する方法、 食べていいものと悪いものに関する知識など… そうやって、必死で生きることにしがみついていると、生きる気力が湧きあがってくる。 そんな私から見れば、弱体化した若者は、蚕のように見える。 蚕は、野生の蛾(ガ)を家畜化したもので、 人間の世話なしに生きることはできない。 子どもの頃から、過保護に育てられた大人は、 成人しても、親や科学の庇護なしに生きることが難しいのだろう。 それが今流行りの「生きづらさ」の正体なのかもしれない。 Z世代は、親ガチャSランクを引くよりも、 親ガチャ失敗くらいの方が、幸せになれるのかもしれないな。 雑草を食べてる時点で、親ガチャはハズレだと思うけど… サバイバル能力は身についたはず。 何より、私の人生は、最高に面白くて楽しい。 生きてるだけで丸儲けなら、 楽しい人生は、大繁盛の大儲けだ。 人様の迷惑にならない範囲で、楽しければ、それでいい。